1年7ヶ月
本当にご無沙汰のこのブログ。
最後の投稿から1年7ヶ月経っている。
もともとこのブログは辛かった日々をはき出す目的で始めた。
日常生活では鬱のことや躁のこと、他人にはなかなか話せないから。
話しても理解はされないし。。。
薬は発症当初のまま変わらずラミクタールとエビリファイ。
量も変わっていない。
ラミクタール75mg、エビリファイ1.5mg。
私はこの量で安定している。双極性障害にしてはとても少ないらしい。
私の病状自体が軽かったというのもあるらしい。
とはいえ、主治医に「あなたは正真正銘の双極性障害です」と断言されているし、
それなりの躁エピソード、鬱エピソードも経験している。
平成28年は占い師の言ったとおり仕事がとても順調だった。
私自身も大きな波はなく、コンスタントに働くことができた。
年収も最高記録達成。あの占い師やるな(笑)
平成29年も万事順調。平成28年ほどではないが、収入もそれなりだった。
私は自営業なので収入には波がある。
そして気づけば時は平成30年。もうすぐこの平成も終わる。
躁鬱の安定の一番の要因は私にとって仕事であることは間違いないと思う。
稼げていれば貧困妄想に悩まされる必要もなく、また、仕事はそれなりにやりがいがあるから、社会から必要とされている実感も湧く。
まだ鬱が残る状態で仕事を開始したときには、運転の途中死にたくなって、吐き気をもよおして、河川敷に車を停めて吐いたこともあった。
いまではその場所を通ってもフラッシュバックどころか、「あんな時もあった」と懐かしく思える。
車に常にロープを積んでいたときもあった。もちろん吊るためにね。
あんなに死にたかったのに、いまはこれからの未来が楽しみでしかない。
それは仕事もそう、人との出会いもそう、家族のこともそう。
そしてもちろん自分自身も。
薬は一生続けると思う。この安定した生活が続けられるのであれば投薬を続けることは全く苦ではない。
双極性障害と診断され今現在辛い日々を送っている人、新たに診断され絶望している人、世間に理解されず一人苦しんでいると思う。
私もそうだった。
けれど、私の場合のように、復活をはたすことができる例もある。
双極性障害の有名な人を検索していくとほぼ自殺で幕を閉じている。
でも私は死なない。
双極性障害という重い十字架。
神が与えた試練。
それを背負って生きてみせる。
人の人生はプラスマイナスゼロで終わると思っている。
この試練のマイナスはちがう出来事でプラスになり、結果プラマイゼロになるはず。
そして私の人生捨てた物じゃなかったな、ありがとう、と回想して終わるのだ。
エビリファイ様様
ふるさと納税第一弾
昨年からふるさと納税を利用して、そのすばらしさに感嘆した私。
しかし年末押し迫ってから急いで納付したため、本当は欲しかった果物系をお礼品にしている自治体に寄付できなかった。
毎年人気なものは早々に品切れになるのだ。
というわけで、今年は年初から納税にいそしむことにした。
まず第一弾。
1万円の寄付でさくらんぼ1kgがお礼品として送られてくる。
時期は5月~7月。
さくらんぼは好きだけど、高価なので、自分で買ってまでは食べない。
だから選んでみた。
次に検討しているのはマンゴー。
これも昨年末はほとんどが受付終了になっていた。
今調べてみると、受付開始が4月からの物が多そうだ。
時期になってきたらもっと品数が増えてくるかもしれない。
昨年は肉や蟹など豪勢な夕食ネタで選別したが、今年は果物で攻めてみようかな。
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平穏無事な日々?
久々更新。
最近はTwitterに流れてしまって、ブログの方はおざなりになってしまっている。
日々のことをはき出すにはTwitterはちょうど良いツールで、お気に入り。
アカウントはもちろん双極性障害アカなわけで。
1月初旬から躁転していた感じもあるが、以前のようにビューッとあがってしまうことはなく、翌日になったら落ち着いていることが多くなった。
やはり薬の効果が出ているのだと思う。
双極性障害はとにかく気分を一定範囲におさめるのが一番のテーマ。
上(躁)にも下(鬱)にも一定の許容範囲内にとどめておかないととたんに日常生活に支障がでる。
下のときは何もできなくなるので自分でも気がつくが、上に行ったときはやっかいだ。
「調子がいい!!」ってことで、自分では気づかないうちに上げ上げになってしまい、果てはまわりに迷惑をかけたりする。
お金の使い方も荒くなる。
これはホントーに荒くなる!!
翌月のカード明細にどん引きしたりする。
普段自重しているのにその我慢の反動か、ドーンと大きな買い物したりする。
まあ、リボ払いにしたり、カードローン枠があるわけではないので、今のところ心配はないのだが、あまりに上に振れるとそれも危ないかもしれない。
薬はエビリファイ1.5mgにラミクタール75mg。
私は服用量は少ないほうだと思う。
やはり初期段階で双極性障害の診断をもらえたのが大きいような気がする。
精神科医の全員に早期に的確な診断をしてもらいたいものだ。
薬の飲み忘れには十分注意をし、安定を一番の優先事項に日々を過ごしていきたい。
あとはまわりの環境が私の心の爆弾に着火させないことを祈るのみ。
外部環境というのは気分の上下に多分に影響するからね。
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躁転か?
一昨日あたりから睡眠時間が少ない。
眠りにつけないわけではない。
スマホをいじりながら寝落ちしてしまうので、睡眠薬等は必要ないのだが、
中途覚醒してしまう。
ようは夜中に目が覚めるのだ。
そしてあとはうつらうつらとレム睡眠で、リアルな夢をみっぱなし。
そして5時台には完全に目が覚める。
そのせいだろうか、躁転している。
いや、逆か。
躁転したから睡眠時間が減ったのか。
躁になると寝なくてもホント元気に活動できる。
だから睡眠時間の多寡が躁のひとつのサインとなっている。
躁になると、ソワソワしてさらにはイライラする。
言葉も攻撃的になるし、いいことはあまり無い。
昨夜、食事中にワインを飲んだ。
飲んでしばらくするとイライラしてきた。
テンションが上がっているのは自分でもわかるのだが、楽しいよりイライラが勝っていた。
このワインが私の躁に拍車をかけたような気がしている。
私はもともと酒に弱く、すぐに顔が赤くなってひどいと吐いてしまうのであまり飲むほうではなかった。
けれど、昨年末に友人と食事に行ったときに久々に飲んだら思いの外酒に強くなっていて、年明けてからもたまに晩酌なんぞをするようになっていた。
双極性障害は酒はダメなのだろうか。
でもTwitterで見てる限りは結構飲んでる人もいるみたいなのだが。
次回診察のときに担当医に聞いてみよう。
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新年
遅まきながらあけましておめでとうございます。
新年が来た。
年末年始は実家に里帰り。
一昨年実家で大鬱状態だったので、フラッシュバックにより鬱転しないか心配していたが、取り越し苦労に終わった。
年末のTDLにも行けて、以前のように計画を立てて行動的に遊べた。
実家でものんびり過ごせた。
初詣は毎年1月2日に大きなところへ家族で行くのが恒例なのだが、今年はたまたま行きたい神社が見つかったので、元旦に一人で初詣。
電車に乗り、地図を見ながらトコトコ。
迷わず行けた。
参拝には長蛇の列が出来ていたが、それも想定済みで持ってい行った単行本を読みながら並ぶ。
小さな神社なので、参拝自体はとても短時間。
お参りしてお札とお守り(家族の分も)を購入して、帰宅。
とても有意義だった。
後から知ったのだが、どうやら近辺にある神社とセットで七福神巡りができるそう。
来年はもう少し早く家を出て、一人でのんびり七福神巡りをしたいと思う。
今回お参りした神社は福禄寿様がまつられていた。
健康の神様ということで、病気持ちの自分にはぴったりの神社だった。
翌日1月2日にも恒例の初詣(もう初ではないけど)に参加。
お参りが終わり、子どもとともにいつもは買わない出店でたこ焼きや焼きそばを購入。
そして一番の目的の七味。
この神社は七味の計り売りの出店があるのだ。
しっかり購入して、お祭り気分も味わい帰宅。
今年のお正月はのんびりしつつも充実していて大変よかった。
いつもは短期間しかいれない都会にあれしたいこれしたいとバタバタして終わってしまうが、今年はゆっくりのんびりあくせくせずに過ごすことができた。
躁鬱の私にとって焦るということは禁物のような気がしている。
今年は何事も焦らず、ゆっくりのんびり過ごしていくことを目標にした。
あ、あとブログもぼちぼち続けていくことも。
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仕事納め~今年を振り返って~
平成27年の仕事は本日で終わり。
最終日は一件納品があるだけで、のんびりモード。
大掃除は事務の方々に任せて、私は雑務してたけど、それももう終わる。
平成27年頭から仕事復帰したものの、まだまだ鬱状態の最中だったあの頃。
人に会う度、引きつった笑顔で手に汗握りながらなんとか交わし、帰路につくも職場に戻れず、車を道ばたに寄せ、なんとか落ち着くまで時間をつぶしたりしていた。
スマホ片手に鬱病のサイトや自○サイトなんかを徘徊して、心を落ち着かせる毎日。
日に一件の仕事をこなせるか否かという感じだった。
職場にいる余った時間はアクセサリーを作ったりと無心になれるものに没頭した。
平成27年5月に初めて精神科の門を叩き、「双極性障害」の診断を受ける。
やっぱりという悲しみと、原因が分かった安堵感と、あのときはかなり複雑だったが、担当医という、病気に対して深い理解を持った人と出会えたことはかなりプラスになったと思う。
そして投薬開始。
副作用の出る可能性の高い薬だったために、最初飲むには勇気がいった。
毎日自分観察をし、少しずつあがっていく自分を感じていた。
気づくと日に2件ほどの仕事をこなせるようになっていた。
人に会っても手に汗握ることは少なくなっていったし、路肩に車を停めてイジイジすることもなくなった。
その後少しはあがったもののまだ低空飛行の心をもうちょっと上げるために薬を増やし、おかげでもっと仕事を楽にこなせるようになった。
そして気づけば日に3件~4件、また以前のように仕事している自分がいる。
私の場合、初診で双極性障害であると的確な診断がおりたこと、これにより適切や投薬治療がおこなわれたこと、これが普通の生活を送れるようになった最大の勝因だと思う。
ネット社会により事前に自分で情報を得ていたことも功を奏して、躁エピソードを医師にきちんと伝えることができたことも的確な診断を受けることができた理由のひとつだ。
その後多少日内変動しながらも、平成27年12月28日、無事この日を迎えることができた。
状態が安定してから調子が悪くて休んだのは1回、しかも半日だけだった。
自営業であるということもよかったのだと思う。
まわりに気を遣うことも少なく、時間もある程度自由がきくし、本を読もうがネットしようが、ブログを書こうが、それを怒る人はいない。
全て自分でやらねばならないし代わりがいないので、その分責任は重い。
だが自分がサラリーマンだったら、こうもうまく復帰できていなかっただろう。
そしてこのブログ。病気の記録と、苦しい自分の心をはき出す場所がほしくて始めた。
書くことで私はどれだけ救われただろう。
いただく親身なコメントもそうだ。
私はこのブログにずいぶんと救われ、ブログは私の病気を安定させる大きな要素になった。
もうすぐ今年も終わる。
来年も、ありがたいことに1月からの仕事の依頼がすでにきている。
依頼者に対し誠心誠意で仕事し、実りある良い一年にしたい。
ブログを読んでくださる皆様、
約半年、ありがとうございました。
来年も双極性障害と付き合いながら、仕事もブログも私生活ものんびりやっていこうと思いますのでどうぞよろしくお願いします。
たまにへこんだ記事も投稿すると思いますが、そんなときは、叱咤激励または目をつむってやってください。
それでは皆様も良いお年を。
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