続:読書:躁うつ病を生きる~わたしはこの残酷で魅惑的な病気を愛せるか?~
今週のお題「人生に影響を与えた1冊」
前回の続き
呼び名が違うが病気は一緒。
以前から使われていたのは「躁うつ病」だが、現在かなり普及している呼び名が「双極性障害」。
私も最初この病名から知った。
双極性障害は米国精神医学界によって刊行されている公式の診断体系
「精神障害に関する診断と統計のための手引き書」(DSM-Ⅳ)に学名として使われたのが最初らしい。(本書より引用)
著者は双極性という言葉はその言葉があらわしている病気をぼんやりさせ、実際より小さくみせようとしているように思える、逆に「躁うつ」という言葉は病状のリアリティをごまかそうとせず、病気の性質と深刻さの両方をとらえているように思う、と書いている。
私は通常使う言葉を「双極性障害」としている。
その理由はまさに著者のいう上記のとおりだった。
なんとなくその病気についてぼんやりさせ、でも病気の最先端の呼び名のような気がしていたから。
けれども「双極性障害です」といってもその知名度は躁うつ病よりもかなり低く、結局は躁うつ病だよ、いわざるを得ない。
躁うつ病より双極性障害のほうが一般社会からの差別や汚名からいくばくか逃れられるような気がしてしまう。
精神分裂病が統合失調症と呼ばれるようになったように、禁治産者が被後見人と呼ばれるようになったように、一般社会が勝手に作り上げたこれらの言葉に対する差別的な偏見を和らげる効果があるような気がしてしまう。
さらに著者は気分障害を双極性と単極性というカテゴリーにわけることにも疑義を呈している。その区別は必ずしも明確ではないし、科学的な裏付けもない。
このようにカテゴライズすることによって、鬱病を一方の極に、躁病をもう一方に分離する考えに帰結しかねない。これこそ躁うつ病を鬱病を誤診される大きな要因のひとつなのではないかと感じた。
もう10年以上鬱病として治療を受けてきたが、実は躁うつ病でした。この10年はなんだったのだろう、このような話はよく聞くことだ。
そう考えると鬱病を単極性、躁うつ病を双極性なんて分けること自体がナンセンスで、双極性障害という呼び名はこの傾向を助長しかねない。
しかしながら、「躁うつ病はキチガイだ」、なんて誤った認識をもつ人たちに対しては、双極性障害という病名のほうが、身近で、誰でもなる可能性があり、立派な病気のひとつなのだ、そして檻の中に閉じこめておくような病気でもなく、家族に躁うつ病者がいるからと偏見をもつような病気ではないのだ、という新たな認識をもつためのきっかけにはなると思う。
ここでも、躁うつ病に対する偏見や差別、一般社会からの見方、についてやはり深く考えさせられてしまう。
躁うつ病・双極性障害への世間への理解を深めてもらわねばならない。
一番いい方法は患者がどんと増えることだが(人ごとではなくなるから)、それはそれで問題なので、何か他の方法で、この病気への正しい認識が広まってくれることを願ってやまない。
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