支援する側とされる側
精神疾患の症状が重い場合は、明らかに支援が必要だ。
医療支援、社会福祉支援、法的支援、などなど。
私のしている仕事の一部は明らかに支援側の仕事。
双極性障害を発症する前は、当然のように支援する側として自信満々にそしてかなり親身になって業務をこなしていた。もちろん差別なんてしてないつもりだった。
一度はバンザイして全ての業務を引き継いだのだけれど、
現在はまた一から仕事をはじめている。
私は、今、支援される側でありながら支援する側の仕事をしているという奇妙な状態なのだ。
仕事を再開するに当たって、ものすごく悩んだのが、支援される側の私が支援する側の仕事をするのはいかがなものかということ。
支援される側の人からみたら、自分と同じ支援される側の人に支援されるって、ただでさえ不安なのに余計不安になるんじゃないかと。。。
私は仕事上双極性障害のことをオープンにはしていないので、はたからみたら分からない。
けど、もしオープンにしたら、「hanakoには支援されたくない」もしくは「hanako
にはこの業務をさせるべきでない」と言われてしまうのではないか。
こういう葛藤がある。
この葛藤に悩むうちに、これって、発症前の私は差別していないといいながら、心の底では自分は健常者である、だから障害者を支援するのだ、支援できるのだ、自分はこの人たちとはちがう、と無意識に差別していたのではないか、と、ふと気づいたのだ。
差別していたからこそ、いざ障害者になってみて、こんな私に支援されたくないよね、と思ってしまうのではないか、と。
本当に差別してなかったのなら、支援される側が支援する側になったって、何が問題?ノープロブレムでしょ?と、今の私みたいに悩まないと思うんだよね。
双極性障害である自分にもっと自信を持たなくてはいけない。
障害をもったって、もってない人となんら変わらない、自分は自分なんだ、と。
いつか完全オープンにして仕事ができるようになれたらいいなと思う。
けれど今は、以前の私と同じように、差別していないといいながら無意識に差別してしまう社会であることは間違いないからオープンにするのはまだ先かな。
もっと双極性障害がメジャーになって認知度があがって、私、双極性障害なんです!でもみんなと変わらず仕事ができるんです!って胸をはって言えて、まわりも「なになに双極性障害?ああ、それがどうしたの?別に問題ないじゃん、仕事できるじゃん」って当然のようにいわれるような社会になってほしい。
そしてそれは双極性障害である私たちが変えていかなくてはならないのだと思う。
な~んて大きなことを言いながら、やっぱり支援される側する側で悶々としてしまうダメな私でした。