緑内障とステロイド~2
前回の記事はこちら
紹介された大学病院眼科にていろんな検査をした。
中でも造影剤を投与して、眼球の水の流れを調べる検査には参った。
造影剤が身体に合わなかったのだろう。
頭がグワングワンして、気分が悪くなり、吐き気をもよおし、とてもでないが検査中座っていられなかった。
それと、緑内障で一番大事な検査、視野の検査。
実は視野というのは、普段まっすぐしか見ないというか認識しないので、右端や左端、上、下、など、実は見えていなくても、それに気づかないことが多いらしい。
自分で「あれ?」と気づく頃には、かなり視野が欠けてしまっていて手遅れの状態とのこと。
幸い、私の視野は正常だった。
こうしていろんな検査をした結果、すべて正常、なのに眼圧だけが高い、という異常事態。眼科医も頭を抱える状態。
しばらくは眼圧を下げる目薬で強制的に眼圧をコントロールし、様子を見ることに。
この目薬は授乳禁忌だったので、どんどん張るおっぱいを台所で絞った。
こんなに母乳が出るのに、捨てなければならない悲しさ。
完全母乳を達成できなかったくやしさは今でも忘れない。
そのうちおっぱいは張らなくなってきてしまった。
母乳は吸われなくなると自然に出なくなる。
私は目薬をやめたら授乳を再開したかったので、毎日毎日、母乳が枯れてしまわないように絞るのを続けた。
眼科へは1週間ごと、経過観察。
眼圧は23くらいで推移。まだ正常値より高い。
約3ヶ月経った頃、ふと眼科医が私の手に気づいた。
当時乳児相手の生活をしていた私は、手を洗いすぎたせいで、真皮性指掌角皮症という指先や掌の皮が薄くなり、ひび割れ、剝けてしまうという病気にかかっていた。
指のひびがひどくて、そのままだと血だらけになってしまうので、薬を塗って手袋をしていたのだ。
「薬は何を使ってる?」
「リンデロンという軟膏です。」
「その手で、目とか触ってない?」
。。。
「コンタクトレンズはこの手で洗っていたかもです。」
「それだ!」
私が皮膚科から処方されていたのは、リンデロンという副腎皮質ホルモン剤=ステロイド剤の軟膏だった。
どうやらこの軟膏がコンタクトレンズを介して目に入り、その副作用で眼圧が急激にあがってしまったらしい。
コンタクトレンズを洗うどころか、レンズに軟膏をすりこませてしまっていたのだ。
急遽軟膏の使用を中止した。
すると眼圧もみるみる正常値に戻っていった。
ステロイド剤というのはその効能からいろいろな病気の治療薬に含まれている。
膠原病など、直接体内にステロイド剤を投与する場合はよく緑内障の副作用が出てしまうらしい。
これと一緒で、目には禁忌、のステロイド軟膏によって、その副作用が出ていたのだ。
早めに気づいたおかげて、無事眼圧も下がり目薬投薬も終了し、授乳も再開した。
視野も正常、今も目に問題はない。
なぜこんなことを急に書いたのかというと、
先日の毛虫による湿疹の処方薬でステロイド軟膏を出されたからだ。
私はこの10年間ほどずーっとステロイドをさけていた。
一度ステロイドで眼圧があがると、ステロイドに反応しやすくなる、と言いわれている。
これまでも皮膚科に受診することはあっても、「ステロイドの入っていない薬をお願いします」と言っていた。
今回は久々のステロイド。強烈なかゆみと湿疹の多さからしぶしぶ使ったのだが、幸い目に変調はない。
皮膚科の多くは短期間で力を発揮するステロイド軟膏をすぐに処方する。
そして処方された私たちは安易にそれを使う。
けれども一歩間違えると重大な副作用を引き起こすことがある。
今回、「副腎皮質ホルモン剤」と書かれた軟膏を見て、あらためて薬の使い方には気をつけようと再認識したのであった。
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静かに波は引く
一昨日、仕事で市役所にいたときだった。
ふと終わりたい誘惑がわいてきた。
とても静かで、冷静な状態。
はたから見たら、私のその日の行動は前日とはなんら変わっていなかったと思う。
朝、定刻に起き、お弁当を作り、子どもを保育園に送り、仕事をし。
みんなが毎日を送るルーティンとさして変わらない日。
そんなときに「なんかさ~今日しにたいんだよね~」なんて、まわりが聞いたらギョッとするだろう。
人はいつか必ず死ぬ。それは一般に言われる平均寿命に比較して早いか遅いかの違い。
結果は同じなのだ。
だから私は特に死に対する恐怖感をもっていない。
死んだらどうなるんだろう、とかそんなことはどうでもいい。
実際身近な人が亡くなり、いつもだったら当然そこにいた人がいなくなってしまっても、私達の日常はなんら変化なく、世界はまわる。
私の生きる理由は子どもがいることへの責任感だ。
今はそれだけ。
これがなかったらもうとっくに人生終了していた気がする。
自分の子どもはかわいい。
人の子どももかわいい。
子どもはみんなかわいい。
無垢でまっすぐで、愛おしい。
見ていると、まぶしくて、うらやましく思う反面、これからたくさん勉強して、仕事して、苦労もして、大変なことが待っているのだな、と思うとかわいそうにもなってくる。
このかわいそうという思考自体がおそらく普通ではないのかもしれない。
子どもはキラキラした未来でいっぱいで、それを応援するのが親の役目でもあるだろうに、これから大変な未来で生きていかなければならない子供たちが不憫でしかたなく感じてしまう。
これは36年間生きてきた私の人生で、つちかわれてしまった感覚だ。
勉強もスポーツもそこそこできた。世間ではいい大学と言われている大学を卒業し、国家資格もとった。
はたからみたら十分に見えるかもしれないが、私は自分に対する誇りというものが全くない。
自己肯定感が異常に低いのだ。
何をやっても満足感がなく、趣味に没頭しているときはいい、けれどもいつも最後はむなしくなってしまう。
以前、上の子がまだ2歳くらいのとき、ママ友に「これからの目標が全くない」と言ったことがある。そのときの私は結婚もした、子どもも無事産んだ、資格もとった、仕事もしてる、次にいったい何をしたらいいのか。全くわからなくなっていた。
ママ友はギョッとしていたが、「小さい目標でもいいんじゃない?それこそ海外旅行へ行くとか」。そして私はそれを即実行した。がやはりもの足りない。
私はいったい何を求めているのだろう。何をしたいのだろう。
私のしている仕事は一応難関資格を必要としているため、みんなこの仕事でやっていきたい!という大きな目標とともに試験をパスし、同業者はこの仕事に誇りを持っている。
以前異業種交流の際、「なぜこの資格をとったのですか?」と聞かれて、なにも答えられなかった。「なんとなく資格がほしかったから」とのど元まで出かかったが、押さえた。みんな大義名分をもって堂々と仕事している。
そう、仕事はやりがいがある。
幸いサラリーマンではないので、理不尽な上司もいなければ時間もわりと自由だ。
何が不満なのだろう。
いや、不満ではないあ。とにかく満足していないのだ。
私の本能的な満足感を満たす基準は高いのかもしれない。
イコール目標高く生きているのかもしれないが、それが自覚できていないから、よくわからない。
コメントでいただいた「今をどう生きるか、真剣に生きていくこと」。この真剣に生きていくことを私はできていない。
担当医が言っていた。
躁を経験すると、何をやるにも物足りなくなる、と。
と、考えをぐるぐるめぐらせていたら、一昨日からのあの不思議な念慮は消えていた。
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これが双極性障害
連休明け。
天気晴れ、気圧1016hPa。
体調、良い。
気分の波、普通。
朝からお弁当を作り、仕事もちゃんとこなしてる。
なのに、
人生終わりたい気持ちがむくむく湧いている。
死にたくなる病。
この死にたくなる気持ちというのは不思議なことに理由がない。
確かに躁でやってしまったことへの後悔、鬱でのしんどい毎日、こういったことがきっかけとなることは多いが、通常時でもふと死にたくなる。
もう、人生いいかな、と。
薬もちゃんと飲んでる。
睡眠もとれてる。
でも死にたい。
これが双極性障害。
脳の疾患。
生物は本能的に生きることを選択する。
なのに自ら死を選ぶというのはまさに脳の誤作動としか思えない。
今、「選ぶ」と書いていたら、「選ぶ」が読めなくなった。
漢字がわからない。
合っているのだろうか。
やっぱり今日の私の脳は誤作動中のようだ。
緑内障とステロイド
「緑内障」とは、
緑内障とは、目から入ってきた情報を脳に伝達する視神経という器官に障害が起こり、視野(見える範囲)が狭くなる病気のことです。治療が遅れると失明に至ることもあります。
という恐ろしい目の病気。
私は10年前、この緑内障になった。
当時は緑内障という名前くらいは聞いたことが有る程度で、もっと良く聞く白内障とともに高齢者がかかる病気かと思っていた。
お正月を実家で過ごし、その帰りの車でふと気づいた。
「あれ?見える景色が全部白くかすんでる」
当時はコンタクトレンズを使っているので、レンズの曇りかと思ってしばらくほおっていた。
レンズを良く洗っても、白い霞は消えない。残念なことに私はコンタクトレンズをはずすとかすんでいるのかどうかすらわからないほど見えなくなってしまうので、霞の原因がコンタクトレンズではなかったことに気づかなかった。
霞が始まって約2週間、いっこうに視界がクリアにならないので眼科を受診。
いつも通り、器械で視力と眼圧を測る。(眼圧測るのって、空気をプシュッと目にあてるやつ)
なぜか眼圧を3回ほど測り直された。
その後看護婦さんたちがざわざわ。
すぐに診察室に呼ばれ、その場で点滴となった。
通常の眼圧値は15~18くらい。
ところが私の眼圧は38もあった。
目には一定の圧で水分が流れていて、なんらかの原因でその水分の流れが止まったりすると眼圧が上がるらしい。
この水分の量の調節がうまくできなくなり眼圧があがってしまうのが緑内障だ。
高い眼圧は目の奥にある視神経を圧迫し、この圧迫が続くと視神経が細くなり、やがて何も見えなくなる。恐ろしいのは一度細くなった視神経は元には戻らないということ。
当時、私は上の子を産んで半年くらいの頃で、母乳をあげている時期だった。
母乳は親の摂取した薬の成分なんかも排出してしまうため、薬には気をつけなければならない。
眼科で緊急点滴になったとき、薬の成分は授乳NGのものだった。
点滴を投与するには授乳をやめなくてはならない。
当時完全母乳で育てていたし、授乳しているときが一番の幸せなひとときだった私にとって、授乳をやめるなんてことは選択肢の中に全く入っていなかった。
眼科医に母乳をあげてるからなんとか点滴をやめてくれないか、と食い下がったが、
「母乳と視力とどっちが大切なんだ!このままだと失明するぞ!」
と言われ、せめて最後に授乳させてくれ、と眼科に子どもを連れてきてもらい、別室でこれが最後と泣きながら授乳した。
あのときの光景は今でも忘れていない。
その後泣き顔で点滴。
点滴のおかげでいくらが眼圧は下がったものの、まだ30以上あったため、大学病院へ行くことになった。
続く。
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発疹の原因
午前中、さっそく精神科へ。
昨夜もおなかやら太ももやら痒かった。
でも掻いたら増えそうだから我慢。
病院は比較的空いていた。5番目。
ラミクタールがだめになったら嫌だな~と思いながら待つ。
ラミクタールの副作用は怖い。
中毒疹といって、発疹、発熱、ひどければごく稀にだが、スティーブンス・ジョンソン症候群という恐ろしい難病を発病することもある。
発疹状況
右太もも11,お腹22,右脇腹11,右脇の下2,右肩胛骨下1,右肩2,右手首5、背中1。
数字は発疹の数。
こうしてみると右ばっかり。
私の順番になり、担当医に発疹箇所を見せる。
「うわ、たくさん出てるなぁ、う~ん。。。」
「ラミクタールは確かに副作用で発疹が出る場合もあるんだけど、服用始めてもう4ヶ月になるからなぁ」
で結局、
「僕では副作用による発疹か、そうでない発疹なのかの判別ができないから、一度皮膚科で診てもらってくれるかな、紹介状今から書くから」
ということでそのまま皮膚科へ。
そうだよね、精神科医は皮膚科医とは違うから、見ただけではわからないわな。。。
行きつけの皮膚科は幸いなことにめずらしく空いていた。
若い女医先生。この皮膚科医院の娘さんだ。
「どれ?全部見せて。あら、これ。。。」
「いつから?かゆい?だいぶかゆい?」
「昨日の朝方からで、かなりかゆいです。」
「これねえ、毛虫だわ」
毛虫!?!?
「どこか木の多いところに行った?一昨日くらいに行ってない?」
一昨日といえば日曜日。
はて、と思ったら、
そうだ!子供と夕方動物園へ行ったんだった!
「それだわ!動物園の木に毛虫がいたんだわ。毛虫の毛ってね、舞うのよね~、毛虫本体に触れたりしなくても、発疹でること多いのよ。」
そういえば動物園で、よそ見して、垂れ下がった木の枝に頭かすったんだっけ。
「軟膏出しておくから朝晩塗ってね。1週間くらいはかゆいわよ。精神科の先生にはお返事書いて送っておくわね~」
なんと、この発疹の原因は毛虫だった。
身体の片側、右ばっかりに発疹が多いのも、納得。右側に毛がついたんだな。
ちなみに皮膚科の先生はラミクタールとエビリファイの副作用も確認してくれて、
ラミクタールは確かに副作用で発疹が出ることが多いが、飲み始めて6週間で出た人が最長で、それ以降に出たという報告はないこと、エビリファイで発疹の報告はないことも教えてくれた。
私の場合は服用始めてから4ヶ月以上経過しているし、副作用による発疹ではまずない、ということだった。
なんと、毛虫とは。。。
は~、副作用でなくてよかった。毛虫でよかった。ってよくないけど、よかった。
そういえば昨夜、子供が「ママ、毛虫じゃない?毛虫って毛だけ飛んでくることあるんだよ!」と言っていたのを思い出す。
あなたが正解でした。チャンチャン。
ああ、痒い。
※皆様ご心配おかけしました。
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発疹
明け方から右手首、右太腿あたりに痒みが。
講師役
「○○について研修をしたいので講師してくれませんか?」
ひと月前から頼まれていた講師役。
本日なんとかやり遂げた。
講師といっても20人程度の前でスライドを見せながら話すだけなので、たいしたことではないかもしれない。時間も30分だけ。
が、頼まれてから今日まで、「どうか当日鬱転していませんように」とちょっと冷や冷やだった。
私は人前でしゃべるのが苦手だ。
これは中学からで、授業中に指されて黒板の前で発表したときは、ほっぺたが痙攣したこともあった。緊張するのだと思う。
小学生までは学級委員をやったりして結構活発で人前でも平気だったのに。。。
大学でゼミにでも入っていたらプレゼンとかで鍛錬できたのだろうが、あいにく私はゼミに入っていなかったので、プレゼン力もゼロ。
そんな私が当日鬱転していたらと思うと。。。怖すぎる。
昨日は原稿を作り直して、通し練習して今日に備えた。
今日の話の内容は自分の仕事の専門分野だし、基本的なことだけなので、普通にやれば問題ないはず。
心配していた鬱も来なかった。
簡単な挨拶から入り、スライドを展開。バグることなくスムーズに展開できたし、時間も30分ちょうどくらいで終わることができた。
だが、一番重要なしゃべりはいまいち。
かみまくってしまったし、半分くらいは原稿通だったが半分くらいはアドリブというか、原稿から離れて飛躍してしまった。
原稿から一度離れたら、また原稿に戻らなければ次の話に移れないのだが、そのときに一瞬何を話していたかわからなくなり、言葉に詰まってしまう。そして詰まりの延長で何度もかんでしまった。
講師をするって難しい。原稿を棒読みしてもおもしろくないし、かといってアドリブで全ては話せるほどの力量はないし。
先生業の人を尊敬する。大学教授とかすごいよね。
あとマイクがなかったのもよくなかった。普段より大きい声で話さなければならず、最初の方も声も震えてしまった。
とまあ、つたないしゃべりながらもスライドに助けられながら無事話し終え、最後に質問の時間をとって終了。
反省点はいっぱいだ。人前で話す難しさを痛感。
けれども最初からうまくできる人なんてほとんどいない(はず)。
講師は場数踏まないとうまくならない。
ということで次に生かせたらいいなと思う。
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