根っこがほしい
私には父親がいない。
こう書くと語弊があるな。
正確にいえば父親不在のまま育った。
父親は、生きている(と思う)。
そして母はなぜか離婚していないので、戸籍上も両親そろった状態だ。
私の父親はかなり変わった人だった。
母と結婚したものの、結婚前のアパートを引き払うことなく仕事場の近くだからと普段はそっちで生活し、家には週一くらいしか来なかった。
私が幼稚園年中さんくらいのときに、母の実家に引っ越した。
父親は以前にも増して家によりつかなくなり、月に1回来るだけだった。
父親は当時三菱のパジェロに乗っていたのだが、夜、家の門のあたりからパジェロのエンジン音が聞こえてくると「お父さん来たー!!」と喜んで、玄関で入ってくるのを待ちかまえていた記憶がある。
父親はアウトドアが大好きで(いや、「好き」とか通常イメージする「アウトドア」を遙かに超えてるな)、
ライフルを所持し、泊まりがけでどこぞの山に行っては熊や鹿を捕り、剥製にしたものを家に持ってきたりしていた。
応接室とかの壁に角の立派な鹿の首が飾られてたりするやつ。今ではあまり目にすることはないかもしれないが。
そしてその趣味が高じて、私が小学校高学年のとき、それまで勤めていた会社をやめ、山へ行く!と私たちを残して行ってしまった。
おいおい。
それ依頼父親とは一度も会っていない。
私は中学受験で私学に入ったので、周りは結構いいとこに勤める親の子が多かった。
羨ましかった。
いまだからこそ母子家庭はめずらしくないが、
私が子供のころはやはり父親が大黒柱、というイメージが強かったし、
いざというときも揺るぎない支え、それが大黒柱=父親、だと思っていた。
だからいつも不安だった。柱がない家に住んでいるようで。
明治時代の戸籍の家督制度は、まさに「家」を重んじていて、初代を根とし、「家」が続いていく。今でいう戸籍の「筆頭者」は「戸主」と呼ばれ、まさに家の主だった。
大地に根をはり、太い幹を成し、枝葉をつける。
途中分家したら、そこを根として、新しい木が育っていく。
そして戸主、筆頭者はたいがい男。根っこだ。
私にはそれがなかった。
中学、高校、大学、と「父親がいない、それが何??」と強気で生きてきたが、
いまになってみれば、根をもつ友達が羨ましくて羨ましくて、それを隠すための虚栄にすぎなかった。
根のもとに育ちたかった。
結婚して、夫を得たことは、この根を得た感覚に似ていた。
年齢もかなり上だし、父親のような根を得た安心感。けど離婚。
根を失った。
離婚後友人に「私は根無し草」と言ったら、友人は何言ってるの、と笑っていたが笑いごとではない。
根を失った私は風に吹かれれば子供とともに飛んで行ってしまいそうだった。
躁の脳は、その不安を感じないようにしていてくれたが。。。
そして再婚したものの、この根はグラグラだ。
いつ抜けるかわからない。