生きる楽しみ

これまでの私の人生を振り返ると、のんびり気ままにあせらず生活したことがほぼない。

 

何をするにも厳しかった母のせいもあるかもしれないが、常に競争にさらされていた生活だった気がする。競争は、1番になる、とか、合格するとか、そういう目標に向かって毎日努力しなければならない環境。

 

もの心付く頃には水泳。気づくと選手クラスに入らされ、大会、練習、大会、の日々。

もちろん結果を出さなければならなかった。

 

ピアノ。弾けるようになればそれでいいと思うのだが、習っていた先生がそれは厳しく、上昇志向丸出しの先生だったために、練習をさぼろうものならすぐバレてしまい、手をあげられたこともあった。。。(怖)

 

習字。これもまた書き初め大会なるものがあり、一年生のときには泣きながら書きまくっていた。(今でも忘れない)そしたら、突然ものすごい字を書けるようになり、県の賞をもらった。このせいで、六年生まで異様なプレッシャーがかかり続ける。。。

 

中学受験。小学校の成績が落ちたことから入れられた塾。それは学習塾ではなく、進学塾。たまたま入った塾が中学受験用の塾だった。よってその流れで半ば強制的に中学受験。毎週テストがあり、点数が悪ければ恐ろしいほどに怒られ。。。の日々。

 

中学・高校、運良く合格してしまったのは、かなり偏差値の高い学校だったので、小学校ではいつも1番だったのに、中学では中の下ぐらいのレベルに。。。

当然母はいつも目をひからせており、試験期間や通信簿の時期はいつも冷や冷や。。。

 

大学。なぜか体育会系の部活に入ってしまい、全国一めざすぞ~的な生活。。。

 

就活、はナメテました。就職する気がまったくおきず、とりあえず2社内定もらうものの、蹴って、資格をとるため専門学校へ。。。

 

資格は試験に合格しなければならないので、勉強の毎日。。。

 

合格して、仕事をし始めたものの、開業してからの方が大変で、勉強をし続けなければならないことに気づく。。。

勉強って、社会に出てからのほうが必要なことにも気づく。。。

 

と、振り返ってみると、いつもなんらかの競争、努力しなければならない環境にさらされる日々。

まあ、日本ではこれが普通なのかもしれないけれど、心おだやかにのんびり生活するなんて、したことなかった。

いつもセカセカ、何かをしていなければ落ち着かず、ボーッとできない。

何かをしていなければ落ち着かないのは、躁うつ病の兆しがあったからかもしれないけど。

 

こうしてた生活を送っていたせいなのか、結局なにか目指すものとかがないと、私は生きる張り合いがないことに気づいた。

 

そして見つけた。

何かは言わない。

けど、そのためにたくさん勉強しなければならないので、たくさん本を読み、実践し、目標に向かう毎日。

これがとても楽しい。

小さな成功、小さな失敗を繰り返し、思考錯誤。失敗したときはとてつもなく悲しく、悔しいが、薬のおかげか、感情が大きく揺さぶられてしまうことはない。

最近ブログの更新がおざなりになってしまっているのは、この勉強のために時間を割かれているせいもある。

やっていることは競争とはちょっとちがうけれど、努力しなければ報われない。

そして大きな目標のために諦めずにがんばらなくてはならない。

精神的不安も大きいが、結局私はこういったものにさらされていないと逆に落ち着かないのだ。

躁うつ病の器質は私にもともと備わっていたわけで、きっと死ぬまでこれは変わらない。

ならばこれを認めて、せかせかと、時間が足りない生活を送るほうがよい、そして生きる張り合いを作ってしまえばいいと気づいた。

 

明日はどうなるかわからない。

毎日不安と期待にさらされながら、今日も生きてる。

 

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