常に忙しかった

思い返せば子供の頃から忙しい日々を過ごしていた。

 

1.小学生

習い事は水泳、習字、ピアノ、学習塾。

習字、ピアノは週一だったが、お正月は県の書き初め大会があって、冬休みは毎日50枚くらい書かされていた。。。いとこ達が遊んでるのを横目に泣きながら書いてた。おかげで賞とかもらえていた。

ピアノも先生がスパルタで、練習せずにレッスンに望むと手を叩かれた。発表会前はもう大変だった。

水泳は選手クラスに入っていて、練習は一般クラスの終わった18時~20時半をほぼ毎日。全国大会にも参加して決勝に残れたこともあった。

高学年になると、小学校の成績が悪いからと何も知らずに入った塾が中学受験専門塾で、流れで中学受験。夏休みとか地獄だった。朝8時からより18時頃まで夏期講習。当然水泳もやっていたので、早朝練に参加してから塾、塾が終わってからまた水泳練習。今から考えたら恐ろしい日々だ。。。

塾は毎週日曜日にテストがあり、国語算数はそれぞれ150点満点、社会理科は100点満点で計500点満点なんだけど、400点以上とれなかったら母親に激怒されていた。もう、テスト結果見せるのが恐怖でしかたなかった。母親はヒステリーだった。

 

2.中学生

流れで入った中学受験専門塾の成果で、某有名私立中学に合格し入学。

本当は地元の公立中学に行きたかった~。友達と離れたくなかった。

小学校では塾の成果で常に学年トップクラスの成績だったが、有名中学はそんなのゴロゴロいて、私の中学の成績は中くらい。可もなく不可もなく。

水泳はまだ続けていて、中学の地元大会では優勝したりしていた。私学運動部で活躍した人に送られるメダルなんかももらっていて、文武両道な優等生タイプだった。

 

3.高校生

この頃から、世の中の格差や差別にいらだちを覚える。有名私学中高一貫校だったので、高校受験はなかったが、親の格差に気づきはじめた。また学校の先生を信用できなくなり、影で喫煙、地元の不良グループと付き合い始めたりした。けど学校はちゃんと行き、成績も普通。バイトに明け暮れ、学校行事にはあまり積極的に参加せず。

水泳も限界を感じてやめてしまった。幽霊部員。

 

4.大学生

大学までエスカレーター式だったので、赤点とらなければみんな大学生になれたわけだけれど、漠然と弁護士とかになれたらいいな~と浅はかな考えで法学部へ。

なぜか某サークル活動にはまってしまい、司法試験予備校のダブルスクールするまもなく、サークル活動で4年間が終わってしまった。

サークル活動は中身は体育会みたいなもので、早朝7時集合、日が暮れるまで練習とかで、あまり大学に行けなかった。単位取得のためにテスト期間直前だけ大学に現われるというダメ学生だった。

 

5.就職氷河期の中、IT系の企業、出版系の企業に内定をもらっていたが、魅力を感じることができずに内定辞退。卒業までブラブラして、卒業後は某国家資格の勉強開始。その途中今の夫と出会い、洗脳されるように結婚。その後資格には無事合格したものの、妊娠も発覚し、資格合格後の研修期間はずっと妊娠中で体力的に相当しんどかった。

 

6.長女出産・真皮性指掌角皮症・ステロイド緑内障

出産は初めてなので、乳児の扱いにかなり神経質になり、手を洗いすぎて、指掌角皮症という指先の皮膚がはがれていく病気になり手が血だらけになりながらの子育て。

仕事から帰った夫には手を洗ってからでなくては子供に触ってもらいたくない、等かなりストレス。子供は私以外に抱っこされると大泣きするためこれもストレスに。

手の病気にステロイド剤の軟膏を塗っていたが、よく洗わずにコンタクトレンズを扱っていたせいで、ステロイド緑内障失明の危機に。ある日突然視界が白くもやがかって見えるようになり眼科受診したところ、平常値15くらいの眼圧が私は38もあり、大学病院へ緊急移転。当初原因不明だったが、ステロイド軟膏のことが原因だとわかり3ヶ月で無事収束。あやうく失明するとこだった。

 

7.仕事開始

子供が2歳になり少し落ちついてきたので仕事開始。資格合格から3年もブランクがあったので、勉強した内容をほぼ忘れていて、また一から勉強し直しの毎日。

しばらくは事務所の電話が鳴ることが恐怖だった。答えられないよ~という不安でね。新人にも関わらず難しい案件を受けてしまい、解決まで約3年かかった大仕事に心痛む毎日をすごす。ととも夫は愛人を作り、あまりに入れ込むものだから相手のことを調べあげ、夫を問い詰める事件も。

 

8.二人目妊娠・仕事

子育ても落ち着き仕事も慣れてきて趣味も充実してきたころ、長男妊娠。予定外。妊娠しながら膨大な業務をこなす。個人事業主のため、産休なんてものはなく、出産日前日も仕事をし、産後入院中も書類を持ってきてもらって仕事をする始末。

退院後も子供連れて出勤。子供を横に寝かせて、ときには授乳しながらPC打つ状態。育児休暇なんてないからね。ただ二人目とあって子育てには神経質にはならず、楽しめた。男の子だったし、異性のせいなのかめちゃくちゃかわいかった。

 

9.夫の借金発覚

長男が0歳8ヶ月の頃、ふとしたことから夫の借金発覚。最悪だった。私が立て替えられる分は返済し、なんとか収束するものの、夫の態度に激怒。

長女長男つれて離婚。頼れる親族はいないため、ほぼ自力で独立。

 

ここで躁にスイッチ。

 

こうやって振り返ると、心穏やかに本を読んで過ごすとか、そんな時間は皆無だったなぁ。生き急ぎすぎて、もう満足。やるだけのことはやった。

もっとのんびり生きたかったなぁ。

 

鬱期でボロボロになって、いろんなものから手を抜いて、生まれて初めてボーッと時間の無駄遣いしてる気がする。

36歳、人生で一番意欲、仕事が波に乗ると世間一般ではいわれているけれど、全く正反対のダメ状態になってる私。

 

もとから躁鬱だったんだろうなぁ。

 

ずいぶん前に「激しい人生だね」と言われたことがある。

グラフにしたらおもしろいかもね。振れ幅大きすぎて(笑)

 

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